「居眠り諸君」 初心者の皆様へ
目覚めかけの天使諸君のためのガイドです。
たとえば輪廻転生を初めて聞いて、自分はアトランティス時代に生きていたことを確信したばかりとか、
チャネリングが出来ることに人生の目的があるように思いこんでいる若者。
早々に地球任務を放り出し、世界の崩壊と、宇宙船での救出を心待ちにしている人。
UFOを観察、鑑別することが任務だと誤解している諸君。
ルシファーや悪魔ときくと恐れおののく人、或いはワクワクしてしまう人。
闇の勢力と張り合おうと躍起になって、証拠集めと、告発を続けている人たち(続けてください役に立ってます)、
それらが天使の目的だと勘違いしている天使達への基本的な確認事項です。May
your faith.
1.最優先の任務
我々がここ地球にやってきた目的を、一言で言えば「愛と光をもたらすこと」です。そしてそれは日常生活から実践することです。
天使の特質からくる「献身的な奉仕活動」でありますが、これを人助けと考えれば、多くの地球人も物質的な面ではよくしていることですし、海外まで救援活動に行かれる方もいらっしゃいます。
人助けではなく、動物助けでは、アフリカのゴリラの保護に生涯を捧げた女性をモデルにした、シガニー・ウィーバー主演の「愛は霧のかなたに」に、オッサンは深い感銘を受けました。
それは大変立派な「献身的奉仕活動」です。
ただオッサンをはじめ、家族があり普通に地域で生活している天使諸君は多いでしょう、地球人と同じように既に生活基盤があるということで、しかし家族親戚一同すべて天使ということは先ずあり得ないし、夫婦、恋人、親子でも同様です。
だから今のところ離婚したり、出家したりなど生活を大きく変える必要は無く、天使としての自覚と「愛と光をもたらすこと」が最優先の任務と思っています。
「愛」とは他者を慈しむこと、他者とはすべての命であり、自らを含むすべての存在です。(山とか川とか、当然植物も土・岩も含めてすべての物質も非物質的存在も)
「光」とは明らかなこと、「闇」が支配している世の中を照らすことで、真実(真実があればですが)を明らかに白日の下にすることです。ですから「光」は「偽善」を暴きますし、本当のことを知ること、すなわち「知識」そのものとなります。
「悪」とは、分離と否定或いは偽りです。否定とは他者を認めないことです。愛を与える対象としての他者を認めず、蔑むことです。それは優越感を生じたり、相手からエネルギーを奪う状況を可能にします。所謂、支配(コントロール)を可能にします。
分離とは、他者と自己が違うものであると考えることを可能にしますが、宇宙の原則から言えば、すべての存在は根本創造主のうちにあるものなので、そのように考えてしまうことはあり得ないわけです。・・が三次元的には、人間と蝶とはたしかに違う生き物ですし、原始的には人間は摂食の対象として他の被造物をみてしまいます。
さまざまな被造物(命、存在)は根本神の創造の多様・多彩性を示すものであって、支配の対象では本来ないといことです。
天使諸君は意識しなくても「愛と光」は生まれながらに身に付いてはいるのですが、一応自覚するのも良いかと・・。
ただ脅かすつもりはありませんがこの「愛と光をもたらすこと」に関しては首尾一貫性が求められると考えています。(天使の昇進基準・・テカ)
この首尾一貫性を妨げる要素は、業とか欲であり、エゴなどの自らの利益の確保、生き残るための経済的な事柄で、地球人は「仕事は嫌だけど食うためには、愛と光に背いたこともしなくてはならない」という言い訳を正当化します、これが元凶です。
2.エゴとの取り組み
エゴとか自我といいます。「我思うに、故に我有り」とはデカルトの有名な言葉ですが、自己を認識するには、もう一つの視点が必要となります。客観的といいますか、例えば成長期の幼児には、まだそのように自己を認識する術はありません。それは「無邪気」「天真爛漫」(天使的 angelic)とも表現されます。また恥じるという想念がまだないともいえます。
根本創造主が自らを知りたいという旅が、世界を作り、人々の人生や生活や活動があるともいえます。そして「善悪・是非・正邪」という陰陽が生じたもとであるとも考えられます。
さてもう一つの視点は分離して、エゴを生じたともいえます。すなわち自己中心的な視点です。
「個人・わたくし」という一人称的認識視点は、3次元地球世界を生きていくには基本となることは間違いがないでしょう、その是非はともかくとして。
そして問題なのは「エゴは自らを成長させようとする」ことです、我が身可愛や、自らを許すが、他者は許せないと。
だからエゴは他者より自分が優れている、優れている者は劣っている者を支配してもいい、なぜならば、他者と自己は分離してと考えますからね、支配可能であり、そのような優越感を得ることが出来ます。
優越感とは、例えば「私にだけ出来る」とか「私にだけくださった」とか「私は特別な存在である」とか「人々から注目され尊敬される」とかの感情です。
またこの優越感は現世の地球人にだけにあるわけではなく、かつてのどうしょうもない神々(Some
God)にもあったのです、といおうか昔の書物に登場する太古の神々は、今日的に言えば「神」ではありません。遺伝子工学に秀でた4次元のトカゲ?にしかすぎないわけです。 彼らの支配体制がそのまま、今日の地球上に残存しているのが「闇の勢力」ということです。
真に優れている者は、魂の成長度合い、或いはパワーの大きさ、賢い不肖、美醜、貧富の差を問題にはしません、人の上に立っても優越感は感じません、それが各々の魂の価値に点数をつけるものでないことを知ってます。なぜなら万物を平等にみることができるからです。
それら能力や特質は大まかには、その魂の輪廻転生の中でみずから努力して、学んできたもの(魂修行の成果として)であり、よって能力とか技術は一度習得すれば、身(正確には魂)に付いてしまいます。
仮に輪廻転生の一回の生に焦点を合わせば、皆同じスタートラインに並んでいるようにも映りますが、実際に人生を歩むに従い、このような理由から成績・能力や特定領域の才能の差が生じることは当然のことです。(しかしイエス様は生まれた瞬間からすさまじいオーラで、東方の三博士はイエス様のオーラフィールドを地球に合わせに来たのよ?)
そして前世からのカルマがエゴに絡みます。やはり各自エゴが取り組みたい問題やテーマというのがあります。すなわちエゴは各自の確信的な部分でもあり、ただ端的には我が侭、自己中心的行動の源でもあります。
それは我々も地球人も個別的でありますから、一律学校で習うというわけにはいきません。ですからエゴは、そのまま風呂敷にでも包んでブラックホールに投げ入れれば終わりともいえないと思うのです。
その各々のカルマにより、特定の人々との人間関係があり(例えば、殺人者とその被害者という関係ならあまり思い出したくないですが、恋愛関係のすごくロマンチックな場合もあるでしょう)、しかし忘却のベールがかかった三次元世界では、その因果関係を明らかにすることは極めて困難なのです。
さてどのように自らのエゴと取り組むかは、やはり先の「愛」を優先するとよろしいかと思えるのです、自らの利益ではなく、他者の利益を優先させること、これが出来れば人格者です。
誇り高き天使です。(人ごとですがね・・ェヘ) 自らの利益を本能通りに優先させてしまうのは、一般的な地球人です。
しかしその愛が、相手のエゴを増大させていたというのもよくある話で、まあそのうち愛想がつくものですが。
また優越感の裏返しは劣等感です、これは自らを価値のないもの、愛されるに値しないもの、孤独感として感じてしまいます。(マリア様とイエス様がそばにいらっしゃいます、ついでにオッサンも天使を派遣しましょう、実はオッサンもしばしば鬱になりますから)
3.自由意志を犯すべからず Don't interfere with his own free-will
これは大きな問題です。実に大きな問題です。そして高度な判断です。
自由意志に介入した瞬間に、あなたは相手とカルマ的な関係を持つこことなります。すなわち人ごとではなくなってしまいます。
「自由意志を犯すこと」はしてはいけない銀河の原則です、それは例えば死にかけている者を救うことも、間違えを犯す者を止めることも駄目、何故なら体験して学ぶべき事柄をエスケープさせてしまうからです。
簡単な話では何らかの手段と方法で、人々を操ろう、或いは教化しようとすれば、これはコントロールになってしまい、これは自由意志を否定した支配の原理です。特に宗教的な儀礼や教育では、「自由意志に介在」していないか、常に注意しなければならないことです。
私も虫や蝶やミミズや捨て猫、捨て犬を助けてしまうことが多々ありますが、これは彼らの自由意志に介入しているのだと思います(「たすけてくれっ、そこのオッサン」と聞こえるのですがね)。
そこで助言を求められたり、援助を求められればまた違うのですが、子供がしたいと思っていることを禁止することすら「自由意志を犯す」事です。ただ親の判断が正しかったと言うこともあり得るわけです、何故なら親子にはカルマ的な結びつきがありますからね。
例えばトムハンクス主演の「一期一会(フォレストガンプ)」では、戦場で負傷したダン中尉(ゲイリー・シニーズ)を主人公が助けてしまいます、中尉は名誉の戦死を望んでいたのにです。それから後に、二人でエビ漁をして成功するのですが、そんな物語もあります。
もう少し大きな話をしましょう。先の大戦で日本はアメリカに叩きのめされましたが、大本教は日本全体がが段々と戦争に向かっていくのを止めようとしたが、危険思想と言うことで大弾圧を受けましたね、大本教の神様は日本国民全体が盗賊原理で戦争にすすんでいくのを止めさせたかった、すなわち「(国民の集合意識の)自由意志に介入した」が、他の神様は大本の神様を認めなかった。
他の神様は「自由意志を犯すこと」なく、国民が目覚めるには、多くの人々が亡くなり、罪を犯し、苦しみ、国土が焦土と化すことが必要だと判断したのではないかと言うことです。
時に学びとは大きな苦痛や苦悩を伴い、またそれを癒すにも長い年月がかかるが、そのような体験も必要となることがあるということかと考えます。
さて自由意志を尊重するのも、やはり愛でもあるのです。 認めてあげると言うことですか、どんな悲惨な結果が予想されても、本人の意志が尊重されるべきだという。親としたら居ても立っても居られない状況でしょうね、たとえ神様であっても。
そして我々地上の天使を含め、沢山の宇宙存在が地球に集結し、コンタクトをとっているというのも、元は彼らと地球人とのカルマ的な結びつき、太古に自由意志に介入してしまったことを正すため、修復するためだとも考えられるのです。(核分裂は三次元世界だけで済む問題ではないということもあるそうですが)
人には同情心というのがありますし、或いは同情心は本人の為にならずともあります。愛を与えることも自己犠牲的になってしまうこともありますから、よく考えるべき問題であるとも思うのです。
4.恐れと因果応報
因果応報とは「自分が与えたものが、自分が受け取るものである」という法則で、作用反作用の法則ともいわれます。カルマの法則とも。
例えば相手に良いという印象を与えれば、相手からは良きものしか返ってきません、相手がたとえ悪人であってもです。
だから怖いものでもあります、例えばあの人は悪い人だと思えば、相手の悪いという面がよく見えるから、悪人と判断しかねません。
人を騙せば、今度は自分が騙されます。 野良猫に餌をやる人を非難すれば、自分の偏狭な性格を非難されたり、或いは飢えたり、痩せてしまいます。
車から空き缶を投げ捨てれば、自分の家や土地にゴミが投げられます。
逆に、トカゲ君の支配をもくろんだキャンペーンに、これはお得だ利益だと思えば、おめでたく引っかかってしまうということです。
これはごく初期の魂の発達段階では陥りやすい罠にもなります。
また先入観がどれだけ真実を理解することを妨げるかの理由でもあり、初対面の人に気を遣う理由でもあります。
そこで大事なことは、状況は常にニュートラル(中立)と心得ることです。 そして価値判断をそこで行わないことです。
例えば生命が軽んじられるような最悪とも思える状況であっても、それを最悪だとすれば何も得るものはありませんが、中立だと考えてそこから学ぶべき事を見いだすことは可能です。或いは、ハイアーセルフや神々からの視点から観れば、その因果(原因とその結果)関係は明白なので、変えなくてはならない大いに間違っている点、反省材料とかフィードバックすべき事柄が必ず隠されていると考えられると思います。
次によく語られる輪廻転生での「因果応報」ですが、例えば前世の善行が今世の幸運や良きこととして返ってくるというものです。
嫌なのは、前世での罪を今世であがなわなければならないという場合で、前世で殺人を犯せば、今世では被害者となり、前世の戦争で多くの人を殺せば、今世では家族・肉親を戦争で失うなど、身に覚えがないのに、不幸な出来事に襲われると3次元的にはみえてしまうことです。ここ地球は、その事例ごとにカルマの法則を明確にするような教育システムではありません。
忘却のベールがかかっていますから、突然の不幸、予期せぬ出来事、不吉なこととして現れてしまうことです。
人によりますが、これは人々に大きなレベルではなくとも一定の恐怖を植え付けるこことなります。これからの人生に対して臆病になり、行動に対して、学びに対して、経験に対して否定的な先入観となるのではないかと思うのです。人生、石橋を叩いて渡る事も時に必要ではありますが。
またNOとばかり言っていると、他人様に受け入れらないのではないかという恐れ、拒まれるのではないかという恐れも生じ、受動的になることから行動や体験、学びの機会を失うことに繋がります。
これを慎重な姿勢、賢い人生観ととらえる向きもありますが(保険にでも入ろうかと)、それがもたらす不利益に関しも考慮してもよいと思います。
すなわち恐怖感を与えれば、恐怖を宇宙がくれることは間違いがないからです、カルマの法則からいって。
さて「恐れ」を感じた瞬間に、魂も精神もストップしてしまいます、状況を観察することも、思考も止まり、行動も止まります、生物学的緊張だけが残り、すべてがうまくいきません。
また恐怖は増大する性質があります。心配事は最悪の状況へと、頭の中で成長してしまいます。
死への恐怖、消滅することに対する恐怖は退散させるか、乗り越えなければなりません、さもなければ地球人は潜在的強迫観念から地球を食い尽くしてしまうでしょう。(多くの生物種を絶滅に追い込んだように)
だから支配者は恐怖を民衆に吹き込むことにより、こづき回すことが出来るのです。恐れの感情がトカゲ君の餌ですから。
ただ天使諸君であれば、悪事は出来ないことになっていますから、前世でそう悪いことはしていないと楽観的にもなれるかとも思います(しかし私はオリオンの天使ですから、オリオンの戦士ですね、光でも闇でも、どちらの勢力にいたにせよ戦闘(破壊と殺人)はしたのでしょうからね、昔のことですが戦争はこりごりです)。
そんなことで、今後大規模な崩壊や自然災害が起きるともいわれていますが、どんな時でもあまり「恐れ」る必要もないと言うことです。光明思想でいる方が良いかもしれません(何故なら、良いことが起きると思っていれば、良いことが起きるのですから)。皆様の人生の辞書から「恐怖」を除いてください、というのももともと辞書にあった言葉ではないのです。
そして地球の皆様にも何も「恐れ」る必要はないと、「恐れは光ではなく闇である」ことをお伝え頂ければ幸いです。
5.肉体は3次元での乗り物
我々は本来どのような存在かと言えば、魂としての存在です。3次元で魂は目には見えませんが、その波動は感じられます。すべての生命に、水や岩などすべての物質にです。
生物、生命とは魂が宿った有機的なロボットとも喩えられます、一般に魂が抜ければ死亡となり、死体という物質的な存在のみが残ります、或いは生体が病とか寿命で生命を維持できなくなると、魂は3次元から抜けていきます、或いは脳死状態なら生体は生きてはいますが、魂がどこかへ行ってしまっています。
魂自体は不滅です、当然自殺しても魂はなくなりません。死後天国へ行くのか地獄に行くのか、地獄の閻魔大王に釜ゆでにされるのか?地獄の業火に永遠に焼かれるのか?或いは完全に消滅してしまうのか?戒名を頂いてめでたく仏様に成るのか?今時そんなことに恐れおののく人も少ないと思いますが、要は「悪事をはたらいてはいけません」ということからの方便です。
ただこれら宗教的教義・儀礼(葬式、法要など冠婚葬祭)は現代にはマッチしていないことは確かですし、これらを振りかざして教団・組織を経済的に維持管理する、信者・信徒を従わせるというのは支配です。コントロールでありますが、関係者が完全に闇の人たちでないということもあり、昔からは光の方を向いた人々でもあった訳です。
腹が立つことに今の仏教にしても「人の死を利用した宗教キャンペーン商売」のようにも感じます、私は死んでも葬式は出して貰いたくない、遺体は火葬しなければ法的にまずいからで、遺骨は山頂から風に吹かれて・・・、戒名なんてとんでもない、僧侶には来て欲しくない。
さて肉体に話を戻します。このように生体は、この3次元地球では魂が活動するため、被造物としての創造活動を表現をするためのハードウェアです。魂はさしずめソフトウェアでしょうか。
ハードウェアは両親から譲り受けたものであり、両親は祖母祖父から、そのまた前も前もあり、45万年前から神々の遺伝子操作により、本質的には遺伝子として生命の設計図の情報をもとに成長・生育したものです。或いは進化してきた生物種のひとつです。しかし、それ以前のより永い永い遺伝子ATCGの歴史もあるはずです。だからトカゲ君は神ではありません、何故ならトカゲ君ですら被造物の一つにしかすぎないのですから。
この生体は多くの輪廻転生で、毎回生まれて落ちてはハードウェアが新調され魂が宿り、寿命や事故などで肉体が失われると、魂は離れていきます。これを死と呼んでいますが、これは肉体の死であり、魂は不滅です。
今回の地球の大変革では、死ぬ必要がなくなるとも云われています。輪廻転生のサイクルから抜け出すとなります(個人の選択の自由ではありますが)。
この老いぼれていくだけの肉体が、素晴らしい乗り物だと彼らは強調していますが、DNAの螺旋が2本から12本へと増え、単純にライトボディ(光体)へと移り変わるのか、乗り換えるのか?或いは変化していくのか?なってみないとこればかりは分かりません。
元々は彼らが人類を利用するために、12本から2本に減らして、人間という乗り物に始めからあった能力を奪ったのですからね。
ただ生体は、今でも大切な諸君の乗り物であることに変わりはありませんから、過労や睡眠不足はしないようにいたわりましょう、無事働いてくれることに感謝しましょう、3次元的なアドバイスです。
6.チャネリング情報の精査
地球の大変革の局面において、チャネリングによりもたらされた情報々は、それ以前の宗教的教典の内容よりかは正確で格段に優れていますし、我々をよく刺激して目覚めさせてくれました。
その点に関しては大変感謝しておりますし、愛と光を与えてくれたことにも感謝しております。よって皆様もチャネリング本は良く読まれることでしょうし、チャネリングをしている方も多いでしょう。
しかしその情報の正しさや間違いや嘘についても我々はよく考えなくてはなりません。
語りかけてくる存在は、どれだけの悟りがあり、知識があり、光と愛をしめしているか確かめる必要はあります。
肉体がない霊的な存在だから、すべて高次元の高級霊であるという保証はありませんし、(別に悪くはありませんが)指導霊クラスかもしれません、おちょくっている動物霊や愛に欠けた否定的な想念の存在かもしれません。要は彼らの目的や言葉が愛と光に基づいているかが判定基準です。
また彼らが知名度の高い名称で、例えば私はルシファーだとか名乗る可能性は大きいです。本当にルシファーだった場合もあるでしょうがね?
先に述べたよう古代の神々の「我こそは創造主である」という方便が後々もめ事の種になります、いずれにせよ諜報活動ではありませんが、情報源や情報の確かさは精査する必要があるわけです。
すなわち、我々にその存在を確かめる術がない以上、これはその内容から判断すると云うことです。(しかし上から下の者はみえても、下から上の者はみえないという原則もあります)
ただこれが困ったことに、その人の波動レベルに合った存在がやってくる可能性の方が高いということで、例えばその人のエゴをくすぐって、支配をたくらむ事も考えられます。
これは先の「新興宗教100のうち96は悪魔に食われている」といわれるように、地球人に対する影響力が大きくなってくると闇の誘惑は強くなります、堕落天使への道です。
しかし事実として、多くの人々に受け入れられた確かなチャネリング情報(書籍)は、チャネラーの地球任務の以前から、故郷の存在とのチャネリングが予定・約束されていた事が多いようです。
ただしその内容は、普遍的ではなく状況に応じて刻々と変化しています、未来は流動的です、ノストラダムスの予言ではないですがチャネリングした時点とはかなり異なることはあり得るわけです。
7.偶然と必然とエゴ
カルマの法則が根本的な宇宙の法則である以上、世の中には偶然はあり得ません。必ず原因→結果が存在します。
物事が偶然起きたようにしか、3次元世界の平均的な認識力では判断することができないと言うのが正しいと思います。
ハイアーセルフは、永い輪廻転生の魂修行、そして過去、現在、未来の眼で、我々の知性や洞察力よりかは格段に上から事象を観察できますし、そのように我々の行動を導くこともできます。
3次元的に人生で起きる事柄に関して、端的に言えば目の前に起きた事柄は必然性があり、我々としては「これを頂くとしよう」と楽観的に考えて良いわけです。
しかしエゴは、目の前に起きる事柄に対して不快であるとか、恐怖を感じたり、得意げに喜んだり、利益不利益の見方やなんらかの価値判断を下します。(愛に基づいたものであれば大いに喜ぶべきですが)
捨て猫を拾うこともあり、道を尋ねる人が現れたり、インフルエンザに罹る必然性すら有り、現実的にはエゴには有り難くない例でしたが、状況は常にニュートラルですから、価値判断はそこでせず、後々自分の為になると思う。これが本当の「神を信じる」ということです。(戦争や不治の病など、とても悲観的にみえることもあるのですが)
偶然ではないことに、出会いや別れの人間関係もしかり、物を購入する時もしかり、何か新しいことに挑戦しようとした時もしかり、再評価も継続すると云うことも、ただし目の前に何も出てこないときは休めと云うことでしょうか。
ただその時も「自由意志」は厳守されていますから、細かな選択の余地はあるわけで、それが各自学びや個性やエゴのレベルでのオリジナリティーの表現となります。
よって頭の中でああでもないこうでもないと考える必要もないともいえますが、まああまり悩む必要もないということですか、「宇宙さんどうも」と直感に従えともいえます。
ただ経験からは何の学びもなかった(本当にニュートラル)と感じることも多々あります。(ある意味トーゼン)
さて社会生活とは、多くの人々との人間関係により成り立ちます、最小単位は家族から、大きくは地域、国家、世界、地球、宇宙、末は多次元宇宙まであり、地球人はせいぜい地球規模で自らの位置を確認し始めた段階です。そして時間軸は現在、目の前のことをが中心です。
ちょうど地球人は四方、六面囲まれているエゴという名の箱に各々入れられたネズミさんのような感じです。世界は集合的自我という大きめの箱の中で、その中に個々のネズミさんの箱があります。時々箱の外に出て、仕事をして餌を貰い生活しています。多くのネズミさんにとっては大きな箱(世界)の外は「あり得ない」のですし、関心もないのです。そんなことで自分の餌(利益)が優先されているのです。(すなわち認識論から考えて、自我が五感により認識できるのが世界であるからである)
我々天使は宇宙的な出来事、関連性から地球に縁があることは言うまでもありません。
壮大な天の川銀河の叙情詩に登場する人物のひとり、ひとりですが、今のところは箱に入れられたネズミさんで、天使のネズミさんというわけです。天使のネズミさんなので多少飛べるということです。
エゴを小さくすることは箱の壁を薄くしていくことです。壁を取っ払うことです。箱(エゴ)とは個別という感覚、すなわち分離を可能にしているわけで、箱の中(エゴのレベル)からでは物事の因果関係が不明なので、偶然にと感じてしまいます。壁が厚いとはエゴが強いことで、箱は強固となり、外が見えず認識力は低くなり、利害関係(働きと餌)でのみ社会を見ることとなります。
地球の大変革は、この箱がもうなくなることです。だからまだ箱に入っていたいと望むネズミさんとはお別れがあり、箱の壁をなくして宇宙存在・高級霊へと戻る或いは進化する道程を我々天使のネズミは地球のネズミさんにお話する事になるのです。(あまり巧いたとえ話ではなく恐縮です オッ)
またこの壁をアヌンナキの「網」に取り替えても、たとえ話になります。実際は、エゴと「網」両方とも働いて、地球人は神性盲目症に陥れられているわけです。
8「居眠り諸君」なのか?地球人なのか?
3次元世界での生活が長いと、人を表面的なことで判断しがちになります。例えば「足元を見られる」なんてありますし、見た目の美醜や社会的な地位や服装で判断するのは地球人の習慣です。
次の段階では、その人の言動や行動や行いというのを判断します、器が小さいとか、さもしいとか、利己的とかか心の領域になります。また感覚的には、表情とか態度には愛や光というのは現れるものですが、常に光り輝かせるということもないので、地上勤務の立派な魂の人であっても、けっこう俗っぽく感じられることもあります。私の経験ですが、マスターの系列の人は世俗を楽しむのかもしれません。(地球人との接点を持とうとすることかもしれません、地上での活躍・奉仕の仕方は個別的ですから、絵画に登場するように近寄りがたい、芸術的な天使がいるわけでもありません)
そんなことで、表面的なことではその人物を判断するが難しいということもあります。
分かっているけど「居眠り」ポーズの天使もいるということです。波動が近い者しか引き合わないので、既に諸君の身近なところにお仲間がいるかもしれません、一度カマを掛けてもいいかもしれません。
2009/11/15