その他実践的考察

我々が何をなすべきかという問いかけに対して、ただ生きていくことと答えるのも奉仕の一環といえます。
確かに根本神からの愛の供給源としてより低次元へ愛を送る仕事も天使の職務の一つです。
すなわち愛を欠いたシステムに愛と光(情報、知識)をもたらすには、日常の生活から始めると云うことも真実です。
しかしシステムが巨大すぎる、集合意識の波動レベルが低すぎるというが目下の難問であることも事実であり、
地上勤務の天使の皆様も一番関心を寄せていることではないかと思います。
覚醒してないオッサンの話では事足りんというのは承知の上で、チャネリングによりもたらされる情報は大変有り難いですが、
彼らは地上生活をしているわけではありません。
やはり主役は我々であるという点を踏み外してはいけません。我々自身が考え行動しなければならないのです。
といってもサイババじゃないけど物出したり、空を飛んだり、目に物見せるような派手なことは今のところは出来ませんから。
といっても我々は閉鎖的な組織や団体としては活動はしません、個人的で地味で目立つことのない活動になると思います。
といっても仲間はいます。神があなたのそばに、そして、ここにもただのオッサンが一人(なんだオッサンかよー!)


1.我々は少数派かつ異端

先の井出氏のお話によりますと、日本には6次元からの天使が140万人いると云います。
140万人とは、ざっと60人に一人の割合であり、そんなものだろうともオッサンは感じております。充分多いかは分かりませんが、少ないもいえませんね。
しかし皆様が天使なら、同じ波動の者は引き合いますから、いままでの人生でお互い必然的に出会っている可能性は大です。(ここに一羽、あそこに一羽って具合で)
 また多くの輪廻転生では、おそらく一緒に仕事をしてきたと思われます。例のご婦人もオッサンと一緒に、奈良時代に天然痘治療に働いたと云ってましたが、オッサンにその記憶はありません
(藤原の××という名だったらしいよ、しかしオリオンでの戦友ではない)
問題は「居眠り諸君」も多いだろうし、まわりの低波動に染まってしまい、はっきりとした自覚が得られない仲間に「起きなさい」と刺激することです。
私も1987年のハーモニックコンバージェンス以降でなければ、はっきりとした自覚はありませんでした。学校教育でよくコントロール(マインドコントロール)されていた個体の一つです。

また我々のタチとして、既存のものを破壊すること、ひと騒動起こすことが好きという特質もあるようです。
 反体制者であり体制破壊者としての側面です。すなわち本質的に傀儡化したものや、形式化したシステムを作り替える仕事です。
そういうことで、われわれは現体制では仕事はしていないでしょう。官僚や公務員、なんとか職員には縁がないと思います。
そして残念ながらお金や財産にも縁もありません。 物質的なことが心の豊かさではないとを分かっているからです。
(・・と啖呵を切りたいところだが、天使は食わねど高楊枝・・テカ)
 ですから経済や国益などと言う論争は、古くさい陳腐なものとして映るので、あえて考えません、そのような分離に基づいた考えに愛と光がもたらせれば、戦争も飢餓も、民族の相違もなくなります。
(といってもこのペースだとまだまだ先のことになるでしょうが)
 人を比較することも、蔑むこともなくなりますし、エネルギーを奪おうという事もしません。

なお某書物によれば14.4万人とは紀元前104000年に地球にやってきた「光の存在」たちであり、7次元から13次元というかなり高い次元からの高次元マスター達。全世界では約4万人に一人の割合です。
日本には2400人いる勘定ではあるが?7次元の天使が500人でしたから?いわゆるアセンションの三軸、銀河連盟、天使界、高次元マスターは各々別勘定?


2.闇の人間との戦い方

 私は前世で、闇の勢力に嫌というほどたたきのめされていた様です。幸か不幸か今でもその恐怖の記憶がフラッシュバックのように蘇ります。生まれて初めて告白します。
闇の勢力は、先ず権力を牛耳ります、国家権力、法の束縛、軍隊、金融、経済、巨大企業、関連団体など、自分たちの利益を増大させることに躍起です。
それは駄目これは駄目と否定する体質。
いや、そんなことはない我々はリベラルな世界、自由経済主義の住民だなどという愚かしい考えは、コントロールされているということの証拠にしかすぎません。
 さて、そのような官僚とか元官僚とか、組織の幹部には闇の勢力がいることは確かです。
天使がそのような人に会えば、背筋が寒くなるような嫌な恐怖感を憶えます。一目で相手は天使を見抜きます。相手はコントロールを仕掛けてきますが、その際こちらの光の量が多きい事が相手に分かると、一度は相手は諦めます。その際、光の量が少ない天使は屈してしまう可能性はあります。神様、救助してやってください。
彼らは光の家族がくれば、勝ち目はないことも本能的には知ってます。すなわち愛には勝てないのです。根本神や根本創造主からの光と愛は強烈に闇をあぶり出します(彼らの嘘と偽善を)。
 しかしそこで戦ってはいけません。戦うためではなく光と愛をもたらすために我々はここに来たのですから。別にガクガクしながら相手を祝福する必要もありません。
論争した場合、相手は常識と権威と権限と法律で武装していますから、そのようなコントロールの道具(武器)そして恐怖を煽ることで戦ってきますから、愛という概念は彼らにありません。だから戦ってはいけません。仮に勝っても復讐を仕掛けてくるのは必定です。
そして彼らの特徴は執念深いと云うことです。だから決して弱点や相手が喜びそうな誤りを犯してはいけません。揚げ足をとるようにエネルギーを奪っていきますし、隙あらばニコニコしながら屈服させようとします。忍び込んでくるのはお手の物で、監視は怠りません。
勿論そんな低波動の存在と縁を持つことは無いのかもしれませんが、体制を破壊するということは彼らの住みかに入らねばならない事もあります。虎穴に入らずんば虎児を得ずです。
基本的に彼らはそう賢くはありません。聡明ではあるが光を向いていない地球人を取り込んでいるだけです
(例えば専門家の意見はお墨付きを与えることや体裁を整えることにあり、どちらかにする最終的な選択権は彼らが握っています)。彼ら自身は幾ばくかの陳腐な支配の理論と、思考パターンと権限があるだけで、それで自分は有意な立場にあると思いこんでいるだけです。確かに金銭的、社会的地位、影響力からいえば有意といえるでしょう。
そして現世で何かしらの安定収入を望めば、それらシステムなり制度を利用せざるを得ないというわけです。
よって我々天使が、もっと金が欲しいとか、安定生活や名声を求めたりエゴの欲求に応じて、愛と光を欠いた行いをすれば、これは悪魔の誘惑となり、自らを低い波動に落とす事態となってしまいます。言い換えれば堕落天使となります、彼らの思う壷です。
また彼ら自身は、より高い立場の支配者にコントロールされていことが、そして支配体制の中でポジションを得ることに安らぎを感じ、幸せであると思いこんでいるだけですが、闇の感染症患者であることは確かですから、注意しなければなりません。
強力な奴は少ないですが、闇の感染者は多いです。沢山います。
 コントロールされている者の見分け方は、魂が抜けていることです。目がうつろで、愛と光が出ていないのでロボットのように感じます。はっきりとした感情がありません。できれば光と愛を送ってあげてください。
 また支配体制とは、ピラミッド型の序列組織で成り立ちます、行政や会社や組織や何とか団体に入れば、序列構成があり、これは有効に機能することもあるのですが、個人より組織の利益を優先させる訳です。
(だからピラミッドの上の方に行くことを、地球人は「出世」といい一般常識では良きことのように考えられてますが、そう単純に良きことではありません)
その成り立ちは定款などにうたわれ、その中には大義名分はともかくとして実質的には愛も光も含まれていません、そして組織の歯車になることは上から支配され、下を支配するという構図になり、その中で永らえるには、利益をむさぼれる者達から効率よく利益を得ることであり、愛を欠いた行為でも、法に触れなければ非道徳的なこと虚偽もあり、感情を捨て去っても、仕事が欲しいならとっととやってこいとなります。それは組織が閉鎖的で、秘密主義で、オープンではない方がやりやすいのです。
ただし表向きは、企業の社会的責任とか社会貢献とかいってますが、たしかに理念
(企業哲学というのは哲学ではない)に基づいた事業活動もあるでしょうが、それが実質的かどうか、傀儡化してないかは新政権による昨今の官僚批判のテーマでもあります。

 さて次に大事なことは「闇を理解する」ことです。悪とは何か?例えばあなたが全くの善人で温室のような人生を送るより、悪事をして学ぶ人生の方が、この地球での魂修行では良い成績を神様はくれるかもしれません
(悪人正機説のように)。
天使ですから悪人になり切れはしないと思いますし、すべての天使に薦められる話ではないかもしれませんが、この世を光と愛で満たすには、悪についての知識を学習したり、体験せねばなりません。大きな視点からは「闇の勢力にパワーを譲り渡さない世界」を目標に!相手が大きすぎるから逆に日常から始めるとは意義があると思います。
そして彼らをどのようにして許すのか、改心させるのか知恵を働かせる必要はあると思うのです。例えば、愛されたと実感のない者、愛を奪うことしかしたことのない者にどのように愛を知ってもらうのかとか。


3.欲望とのつきあい方

ユダヤの3S主義でしたか、民衆を支配するには、セックスとスポーツとシネマでコントロールをするというもので、周知のことですから、古い手口の一つとなっていることでしょう。
人々の欲望をうまく使って支配(コントロール)をするというやり方です。
 我々は地球人として肉体を持っています。自己保存による欲求、食欲と寝ることと性欲の欲とも云われますが(これらは生理的な欲求で生命の証でもあるから、業とも言い切れない)、肉体維持と子孫保存の為の生殖の欲求は最低限あります。
欲といったり、業といったりしますが、天使といっても無縁ではありません。(性欲やその行為、恋愛については、また別の側面があります、単に滅すれば済む訳ではありませんし、処女懐妊するのは例外的にはアブダクションならあり得ます・・ハァ)
そして物欲、名誉欲、名声、優越感、コンプレックスなどは時に、苦悩に満ちた人生を乗り切るための目標にもなったりします。
 例えばステータスシンボルなるものとかありますね、それを欲するのは、人から尊敬されたい、優越感を持ちたいということで、エゴは喜びますが、それを外部に所持するということは、要するに内部(精神)が貧しいから、心が豊かでないからです。心が豊かなら物欲には走りませんから。
エゴは分離が生じた幻想のようなものであると同時に、それ自体が肥大する性質があります。
それは先の他者を支配し利用するという原理にもつながります。
天使には「他者の幸福を願う」という特徴があります、愛に生きることを自覚して選択すればエゴは小さくなります。
だんだんと聖職者や修験者のようになっていくように感じます。しかし最終的には肉体としては生き残るためにはエゴが必要であるという矛盾もありますし、肉体あっての魂修行という前提もあります。
 既に述べたように「他の生き物の命を頂けなければ、自分の命を維持できないのが、この世で一番つらいことです。」


4.地球人と宇宙人を区別しない


天使諸君の中には長い間、地球人に蔑まされたり、馬鹿にされてきた、おちょくられてきた人も多いでしょう、だから逆に地球人が嫌い、世間が嫌いという人も多いともいます。
ついでにエゴイスティクな人たちも嫌い、うんざりという感じでしょうか。
高級霊が、肉体を持って低い次元に生まれ落ちた悲劇でもありますが、この期に地球次元に入り込むのはこの方法しかなかったわけです。
 簡単に銀河連盟の宇宙船から、ライトボデイのマスターとして降り立てば済むことですが、これでは侵略となって舞うそうで。
何故なら地球集合意識の同意が得られなければ訪問ではなく、侵略なのです、古代の神々と同じ事態であり、昔とは違い昨今の地球人に受け入れられなければ、ミサイルの一つでも打ち込んできますし、地上に降り立てば、銃弾の一つも飛んでくることとなります。
(地球外生命の存在は・・信じますか信じませんか?なんて事云ってるレベルですからね)
さてここまで、地球人との相違に述べてきた感がありますが、それは新たな分離となりますからね良くはありません、まあ宇宙人と言われても優越感に浸る人もいないでしょう。いまでは変人扱いされるのが関の山です。しかし私も天使諸氏も宇宙人であることを隠す必要もなく、そのためにこのホームページはあるわけです。
 地球人の質を導くことです。ただ今までの経験から言えば、波動レベルの差が大きいからか、「理想的にはね」とか「それじゃ飯は食えない」とか「意味わかんねー」と地球人から一蹴されるのが話の落ちで、皆様も若いときには喧嘩でもして悶々としたでしょう。そして私の職務実績も、彼らの関心事、好奇心の対象には結びつかなかった50年間ではあります。
ただし有り難いかな理解を示してくれた人々がいたのも確かです。
しかし本当の友人は少ないのではないでしょうか、若者の頃はともかく大人となれば地球人との価値観の相違はやはり埋められませんね、私の経験ではそうでした。
歳を重ねる毎に口を閉ざしていったような気がします。普通の地球人には関係ない話ですから以前として。
それも今後はフォトンの御陰で、天使仲間とのコミュニケーションがオープンに柔軟に、容易になっていくのではないかと予想しています。
 さて現在地上勤務の天使の職務は、地球人と地球とすべての生命に「愛と光」をもたらすことです。重要なのは時間ではありません、「愛と命」です。
「愛」は強力です、「愛」があれば万民は受け入れてくれます、「命」が大切であることも彼らは分かってはいます、そして「良きおこないや優れた知識(光)」へも理解はあります。
地球人と宇宙人(我々)とはどこがどう違うのか差違を認めつつ、しかし言うべき時にははっきり
(神の言葉を)言って、同じ兄弟として接することが大切かなと・・。


5.思い出すということ

これもよく語られていることです。我々天使は高次元から離れこの3次元世界に、記憶喪失のままやってきました。すなわち、本来の自分を思い出せと言うことです。
輪廻転生のサイクルでは忘却というのはそれなりの意味があります。
前世の記憶がすべて残っていたら、魂の成長には困難な事となるでしょう。マルデックの破壊以降そうなったとも言われています。幼児期のいまわしい記憶が人の成長にマイナスになることは、人の一生でも認められます(精神疾患として)。「因果応報」の原理がこの3次元世界では、魂達が低い波動レベルなので明確に認識でないのが返って幸いというわけです
(これが闇です)、困ったことは悪さがし放題、嘘がし放題となりますからね。
地球の大変革に期をあわせて、本来の自分を思い出すというのが地上勤務天使の職務の一つでもあります。 我々は極短期間のうちに急速な魂の成長を成し遂げなければなりません。といわれても何も思い出せないと言うがこのオッサンなのです。
 しかし魂の進化スピードという観点から考えると、合理的に説明がつくとも思えるのです。(魂の進化とは:事象の原因を見つけ出せる能力、より大局的な視野で物事を見ることができる能力、より繊細な感受性になること、何より愛と光をもたらす能力)
地球人の魂修行による進化のスピードは、我々のそれより速くはありません。例えば学生時代に大人に思えた友人に久しぶりにあっても、全然進歩無いなと感じることはないですか?
一年前、一ヶ月前の自分を振り返れば、10年や1年前の遠い過去のことのように感じないですか?
 すなわち、我々は進化・成長のスピードが速いわけではなく、単に思い出して本来の魂の波動レベルへ戻っていると考えられるのです。元来の状態へ回帰しているだけではないかと。
例えば古い友人との別れがあり、新たな友人との出会いがあります。或いはより孤独になるかもしれません。古いガイド(守護霊、守護天使)との別れがあり、新たなガイドとの出会いがあります。それは当然の帰結でもあり、利権や付き合いではなく、これからは直感や感覚に従うわけです。しかしながらある日突然という事ではなく、徐々に一歩ずつという感じでしょうか。
これらのことが2012年冬至に期を合わせて進行中であるとも捉えられます。
この件に関してかつて友人より指摘された記憶があります、私は若かったし、私に分かることはすべての人に分かることだと思ってましたから、私自身苛立ちがありました。そこへ「誰もがあなたのようには分かる訳ではないのよ」と誠に的を得た忠告でした。それは波動レベルの差なのです、地球人を相手にする地上勤務の天使諸君には常にある問題でもあるのです。


6.パワーの問題

これはあまり語られてはいません。地球の生活は競争世界でもあります。新興宗教の教祖の偉さの尺度に、信者の数があり、政治家の偉さの尺度に支持者の数があります。
すなわち政治的勢力の世界と言うことです。しかしこれは波動レベルとはいささか関係がないようです。例えばアヌンナキは4次元存在ですし、ルシファーとて6次元の天使です。しかし彼らは銀河の騒動の主役であり、大きな影響力、パワーがあります。8次元の銀河連盟はこれに対応するためにあるのですからね。
 パワーの問題とは、一つ一つの魂の持っている特質・能力でもあります。永らく魂の修行をしていれば大きなパワーが得られるかどうか確信はありませんが、リーダーの特質、トップの特質の、人々を導き先導する能力であり、その方面を目指す天使もいると思います。大きなパワーを持っているバリバリの成り上がり地球人も沢山います。まあ此処は彼らの世界ではあるわけです。
天使との差は、天使なら威張ることはありません、自慢はしません、謙虚です、権威に従わず、恐怖心を煽って支配することはしません。(例えば、これに従わないと不幸になりますよとか)
 ついでに言及すれば「我こそは神なり」とか「イエスキリストの再来なり」なんて方便はよしとしません。後々ややこしい問題の火種となるような神性ご権威主義は好みません。
人に影響力を持つ存在は常に闇の誘惑を受けます。「偉くなればなるほど潔癖・質素でなくてはなりません」このことは歴代の政治家の運命をみれば納得いくことでしょう。
天使の皆様には、つつましく生活をお送りの方も多いと思いますし、それなりの社会的な立場に押し上げられてしまった方もいると思います。
 大切なのは自らのパワーの大きさに充分な認識があることです。自己の影響力の大きさについて自覚することです。
天使が注ぐ愛のパワーも実はかなり大きいのです。光のパワーも強いのです。天使諸君の人生を振り返ってみてください、普通ではないと分かると思います。
Angel's energy fools people on the earth.
 またパワーがあればコントロールすることができますから、知らず知らずのうちに支配していたといいうことのない様に注意したいものです。
そして愛と光に基づかないパワーも存在すると言うことです。闇の勢力は大きなパワーを持っています。恐怖のパワーなのか喜びのパワーなのか良く見極めることです。
また例えば80%は光だが20%は闇のパワーというのがややこしいです。すなわちあいつは駄目、こいつは良いと単純に振り分けられないことの方が多のです。 例えば亡くなったイスラエルのラビン首相を思い出してください。
 これはパワーが大きな天使諸氏へとなりますが、一般の地球人や普通の天使は、諸君ほどパワフルではありません。諸君にとっては普通のコミュニケーションのつもりが彼らには恐怖や強度の緊張状態や混乱状態をもたらすことがあります。諸君が無意識であっても、多くの地球人には諸君の波動は高すぎて強すぎるので否定的な受け取り方をしてしまうことがあります。自信たっぷりにあまり光り輝かせないこと、時と場合(相手と状況)を考えましょう。


7.自分の気持ちに嘘偽りなく

 これは大きな原則に感じます、しかし完璧に実践することは難しい3次元世界です。
先ずはエゴのレベルから考えても、欲望というのは念仏を唱えて滅すればよろしいともいえません。やはり何かしらのカルマ的な要因があるものです。
また本能的レベルでさえ、例えば男性は狩猟をしていましたから、DNAに記憶としてあるのでしょうか、釣りが好きとか、鉄砲撃ちが好きとか、所謂殺生する人も多いでしょう。
「気が済むまでやってみたら」というのが解答ではないかと、そこで気づきがあるでしょう、或いはそのプロセスで学びがあるでしょう。仮に我慢したところで、再燃するのは必定の理です。歳を食ってヨボヨボになる頃にするよりは、若いうちの方が良いかもしれません。
本質的な解決法は、避けるのではなく無視するのではなく、やはり経験することではないかとも思えるのです。
その過程において否定したり、愛に欠けていたり、恐怖を手段としたり、他者を支配したり、寄生したりすることは、また新たなカルマを生むことになるのでお薦めできませんが、すべての命の幸せが目標であり、そして何より自分のためであることが、魂の修行であるといえるのではないでしょうか、それが仕事であれ奉仕であれ何であれ。
 さて感情とは、常に行動に先んじます。感じることは極めて重要で、愛を感じる(注いでも注がれても)ことの喜びはすべての行動の規範となります。そして何らかしら感情が生じます。ただ感情は基本単位としては、こころよいか、心悪いかの二者しかないのも事実です
 またある種の執着心
(ニュートラルな意味で)というのは行動の源となります。その執着心にあなたという核心が隠されていると考えられます。解決すべき問題であるのか、学ぶべき教訓なのか、何が隠されているか分かりませんが、嫌だからといって避けては通れないということです。(例えば○×菜館のラーメンを食べに行くという行為でさえ、そこのラーメンに対して何かしらの執着心があって可能となります) 
それがおぞましいあなたの闇であっても恐怖であっても残虐なことであっても、愛を持って理解する必要はあります、解決する必要はあります、癒す必要はあります。
そして自分の問題は、常に他人様の問題でもあるからです。
 また古典的な考えによると、感情は不安定であり是非・善悪の判断に欠けるので、理性で判断すべきであると、科学的ですかねそんな姿勢もありますが、もともとが主観的な経験であるので、そこで客観的になったからと言って、万民にあなたを理解してくれという事ではないはずです。
自分が自分を理解したいということです。それが一般常識や良識から逸れていてもです。これが「自分の気持ちに嘘偽りなく」です。
 ただ我々男性というのは久しく感じることより、客観的事実を理性で判断することに頼りすぎた感はあります。それはそれで成果があったでしょうが、感受性が豊か、繊細な感性があり、情感豊かに表現できる男性、よく泣く男性、芸術を語る男性は実は魅力的であり、素敵なのです。
 また生き残るためにはぐずくず言わないで、人殺しでも、愛のない行為でも、パワーを奪うことでもやってこいと云うのが、コントロールであり、企業の原理の一つです。上記の男性的な原理ですね。
理屈ですべてが解決するというのは、法であり規則ですが、それ自体が神の世界から観て、光と愛を欠いたものなら正当性はありません。
また自分かわいや、傷つくのが嫌、或いは面倒くさいと言う理由で、そこですべきことをしないと、何度も同じシチエーションに遭遇することとなります。エゴに属する感情がその結果に対して否定的見解を示すこともあります。甘え体質、責任を回避する自己中心的女性ですかね。
 しかし結果的には「案ずるより産むが易し」「若い頃の苦労は買ってでもしろ」ということもあるわけです。
 そして自分の心に嘘偽りがあると心を曇らせます。言うこととやっていることが違うと感情体や心は大いに傷つきます。或いは心で思うことと、肉体ですることがバラバラでも調和を欠きます。心や身体の病気になります。これらは私の仕事経験からみれば、慢性疾患、急性疾患問わず病因のトップでしょうね。
純粋で澄んだ心の状態とはコントロール(自制)によりもたらされるのではなく、自分の気持ちに素直であることから生まれると思うのです。なんだかんだと言い訳をするのではなく、ごまかして逃げるのではなく、ただそうであると認めてあげる。
(子供のような心持ちでしょうか)
それは勇気がいることかもしれませんね、世間の常識や良識から逸脱することかもしれません、状況が許してくれない困難さを呈していこともあるでしょう。時に忍耐も必要となるでしょう。
しかし心奥深くにしまいこみ、誰にも理解されないだろうとは思わないでください、少なくとも神はあなたをご理解くださっています、神に近い人々も必ず理解をしてくれています。オッサンも理解します。すなわちあなたの問題は私の問題でもあります。 そして愛はすべてを許し、受け入れる包容力があるからこそ、理解があるのです。
或いは宇宙のシンクロニティーに乗って、直感に従い「魅せられるままにすすんでください」とも。 以上の事柄は天使諸君はとっくのとおに卒業したことかもしれませんが、悩みの解決になれば幸いです。 
なんだかプレアデス人っぽい口調になってしまいました、すいません(オッサンはプレアデスにも居たことあるらしいよ)。 


8.愛の注ぎ方について

 
女性は基本的に、そこに愛があるか無いかを最初に察知します。そしてあれば快い、無ければおかしい、嫌だという気持ちを持つようです。愛については本能的に敏感です。
愛というのも、基本は無条件の愛であり、根本創造主から注がれ、我々がまた他者へと注ぐものです。博愛とも云われます。アガペー?
愛と感情から離別した男性社会の原理とは合わないわけで、働く女性の多くがそれに合わせるようになってきたことは残念と感じています。
ただ3次元世界では、限定的な愛もあり、家族愛や母子の愛、恋愛などは相手が特定される特別な形、かっこよく言えばそんな「愛のかたち」もあると思います。
話は複雑で、親子ならやはり親は自分の子供に愛情を注がなければ巧く育ちません。育てている草花に愛情を注がなければ、素敵な花を咲かせることはありません。
恋愛は、陰陽の引き合いではないかと思います。以前に男女に分かれた一つの魂、ツインソウルやツインフレームといわれますが、再会であり、お互いを求め合う求心力が愛を分かち合い、注ぎ合うという情熱的な「愛のかたち」です。あるいは前世からのカルマ的な結びつきもこれに加わることでしょう。二人で取り組むべき問題です。
(ただこれら限定的な「愛のかたち」は、困った事もあります。恋愛や夫婦間では、愛の束縛として働き、それが面白かったり、そのうち嫌になったりと。 母子愛なら、母親は我が子のみを唯一の存在と考えがちで、馬鹿親、バイオレンスピアレントを生じます。すなわちエゴが絡んできて複雑に、嫉妬したり、逆の無関心、無視に偏る)
 さて愛がすべての人間関係や万物との関係の根底にあるのが元来の姿であり、ただそれを実践すれば良いことと思います。
ただ人間関係や万物との関係では、相性や興味の対象というのが、人それぞれです。愛を注ぐ行為に、ある人は「見た目、ルックス」といい、ある人は「性格」と、或いはこの人とは礼節以上の愛を交わしたくないとか、美意識やエゴや好みに結びつくこともあり、この辺もややこしい話になります。
ただ小さな人間関係、例えば一生に一度しか遭わない魂もあり、駅員さんに次の列車を訊いて、誠意を持って答えてくれたときに感謝するとか、そんな細かな人間関係もあり、登山道で道を譲ってもらって、感謝しますというのもあります。水を飲んでのどの渇きを満たして、水に感謝するというのもあるでしょうし、食事を摂って、もらった命に感謝するというのもあるでしょう。
愛を感じて、愛を返す。或いは愛を与えて、愛をもらう。
しかしその際、与えた愛が返ってこないこともよくある話です。恋愛なら「彼を沢山愛したのに、何故彼は私を沢山愛してくれないの?」或いは日常的に「あの人ずいぶん失礼な人ね」とか、愛に見返りを求めるとまた困難となります。無条件の愛とは見返りは求めません。天使諸君はよくご存じのここと思います。


9.批判精神と世論に関して

 民主主義の世の中、ワイドショーのコメンテイターやマスコミのように体制や人の所業を批判することは当然のことでしょうし、監視する必要もあるでしょう、正しい評価も必要でしょう。
逆に隠れた悪事に関してや、愛を欠いたシステムに対して何の反応も無かったり、寛容であるというのもおめでたいと思います。
 現代人の批判精神、科学者の懐疑主義というのは100%悪いものとは思いませんし、本当の世界を理解したい、真実というものが仮にあれば、そのたくさんある真実の一つでも理解したいという人間の欲求や好奇心は、創造主が自らを旅する旅のようなものでもあります。
ただ鏡像宇宙から考えれば、疑いは疑いとして返ってきますし、批判は批判されるということで返ってきます。だからでしょうか都市部に住まわない多くの人は批判や疑いはしません。
(田舎の人はいい人だといわれますね、そんな無垢な人もいます)
しかしそれで良いのかと言えば、新聞やテレビで報道することが本当のことだと信じて、ご権威主義に従い容易にコントロールされてしまうという事態に陥る訳です。
(田舎では催眠商法が盛んです、ただで何かくれるからという誘いに容易に乗る人が多いのです)
地球人の場合、真にニュートラルな姿勢で物事を理解するという人は少数派です。柔軟性を持ち大きな視野で考えることをしないと、批判や懐疑は不信感に結びつき、何らかの否定的な感情(憎悪、嫌気とか非難)を呼び起こすようです。
(逆に物をもらったり、褒められれば嬉しく信頼感となり、肯定的な感情となるのです。結局は国民は悪人か善人を創造したいのです)
 逆にその他多数派は、自分で考えることが面倒で嫌なもので、どうしても情報に頼る、世間的に評価の良い情報に従うという傾向が、インターネット社会になってから益々加速されているようにも感じるのです。
そして物事を安易に善悪、是非の問題として捉えてしまう傾向があるように思われます。
(物事は善悪を含め、複雑です)
何故なら、感情が行動に先んじる、感情的な執着心が行動や仕事を始める際の元となるとお話し致しましたが、多くの人々は感情やエゴに結びつけることを好みます。そしてエゴは権利を主張します。
地球人が自分の利益・不利益に敏感なのは、先の五井先生のおっしゃるとおりなのです。
(権利という概念はエゴには心地よいものです、利益は喜び、不利益は怒り、貰えば嬉しく、盗られれば怒り)
例えば宗教的対立からの戦争は、お互いを批判し、非難して否定することから始まり、相手から襲われる、侵略
(究極的不利益を生じる)されるという強迫観念を生じ軍事行動、戦闘状態へと進んで仕舞います。それは世論を巻き込みながら、戦争を容認させることになります。
ほんとは各自の直感に従うべきだと感じるのですが、否定的感情でいれば、政府やマスコミなどからの否定的、恐怖のコントロールを受けやすくなります。
 惑星の集合意識はこのように形作られて行くとも考えられるわけです。
すなわち「世論」というかたちで、これが低い波動へと感染拡大することが目下の地球の課題であるとも考えられます。
分離と否定と懐疑と批判(或いは性悪説)を前提とした社会が抱えている問題かもしれませんし、我々天使の間違いのない世界とは、それらのことが存在していない世界ともいえます。
(地球人から観れば大変おめでたい世界、「右の頬をぶたれたら左も出しなさい」というお人好しも良いところでしょうか)
ただ現実的にそれでは世の中があまりにも殺伐としてしまいますから、宗教は愛を盛んに説き、仁愛・礼節の大切さを良識の中に盛り込みなんとかバランスを執ろうとしている状態ではないでしょうか
(我々もその一員であります)。根元的に本能的には誰でも愛と光を求めるものだと、すなわち愛があれば快いし、嘘は許し難いと。


10.基本は祈りかと

 我々天使の職務の基本についてです。日常生活から愛と光を与えることは、憶えて頂いたとは思いますが、たとえ人々とコミュニケーションがない生活でも、実践するのに「祈り」があります。
祈る内容が問題ですが、神社でよく地球人がやる現世利益も祈りに違いはありません。「家内安全・無病息災」は古からの人々の願いです。
(私もやりますけどね・・ エヘ)
しかし個人・身内の利益に結びつく内容はやはり地球人的であります
(ご利益が宇宙平和という神社は聞いたことないし)、我々が願うのは「すべての生命の平安と幸福」であります。宇宙全体のことです。
そして我々天使が、すべての生命を愛していることを、慈しんでいることを、創造神に伝え、闇や苦痛や支配からすべての魂が解放されることを願います。
(嫉妬や羨望やエゴや優越感や差別やさげすみがあれば出来ませんが、あまり厳密に考えても・・・ 祈りを捧げる天使をイメージしてください)
さてといっても「思いは創造する」といわれるように、天使とて各自それぞれ欲しいものがあり、何々に成りたいとか、そうありたいとかの希望もあるでしょう、これもストレートに神にお願い・祈ります。
シンクロニティーで、様々なチャンスを神はくださる筈です。
(しかし天使諸君は現在欲しいものは、そう多くはないと拝察します) 
オッサンの経験からの話では、決めていた品物のようにダイレクトな時もありますが、こちらの希望とはいささか異なるときもあり、これは違うと考えてしまわないで、可能性としてみた方がよろしいように思います。 すぐにはくださらない場合も多くあり、それはこちらに準備が出来ていないか、本当は不要なものであったと判断した方がよく、くださるまでにこちらがマスターすべき事柄(学ぶこと、知ること、身につけること、練習すること、我慢すること)があることもあります。往々にして忘れた頃になってやってくるものです。
(それにしてもうちの店に客は来ないな)
 
我々地上の天使の任務が、ものを作ったり、金儲けすることなど物理的な仕事ではなく心の仕事なので、やはり「祈り・思い」は基本なのです。


11.アヌの「網」

 【プレアデス銀河の夜明け バーバラハンドクロウ著、高橋裕子訳、コスモテン】に
「ゼロ時点において、広範にわたる根深い統制システム「網」を確立したのが、このアヌンナキ(ネフィリム)でした。」と述べられています。ゼロ時点とは大凡には西暦0年です。このアヌの「網」については、大変重要な事柄ですからより詳しくは著書をお読みください。
或いは
「人間はきつく編んだ「網」に閉じこめられ、自分で思っているよりはるかに強く制限されています。」
「時代を見きわめるために多次元的モデルをマスターしなければ、今後もずっと「網」の中に閉じこめられたままでしょう。何が真実かわからないという、まさにそのことによって地球のまわりに「網」が保たれます。精妙な仕組みです。」
ともあります。
 このように「網」は深い暗雲のように、低い波動に3次元地球を閉じこめてきました。そして住民はそれに気づくことはありません、何故なら比較すべき参照点がないからです。
「網」は地球上の人々を無知と無明にとどめおき、地上の光は失われます。すなわち「闇の支配」を可能にしました。
我々天使も地球人も皆、「網」にとらわわれ頭脳が明晰でなくなっていますし、アヌにこづきまわされていても、それが解りません。せいぜい民主主義社会の一員程度の認識なのですが、地球の価値観や生命観は、宇宙標準からみればやはり異常です。
「居眠り諸君」が多いのにもこのような理由があり、地球で生活するなら「網」のシステムに合意した生活、仕事をしていた方が容易です。
魂を覚醒させるよりは、居眠りを決め込んでいた方が楽なのです。
我々天使は高次元を故郷とし、もともと光を扱えますが、ルシファーと同じようにやはり「網」に閉じこめられています。よって天使としての活動がいままでかなり困難であったこと、全くうんざりするほど苦労してきた理由でもあります。
(あの時、頭脳が明晰であったのならと悔しく思うことは多いです)

しかし惑星地球から離れられれば、この「網」の存在も分かるかもしれません、例えば宇宙飛行士のように「網」の外に出られれば、形而上のことに心が開かれていくのかもしれません。
そして現在は、アヌがこの「網」を取り外すことにシリウス人と合意をしたそうです。またフォトンの攻撃によりこの「網」は破壊されつつあります。
このマインドコントロールはその制御力を失いつつあり、日々少しずつのこととは思いますが、我々の頭脳は覚醒していっているということは間違いないと感じます。もう馬鹿にされる恐れはなく、光を地上にもたらしてください。天使皆様の自分の気持ちに嘘偽りのない言葉で・・

 
2009/10/25